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2007 シリーズチャンピオン 大嶋和也選手スペシャルインタビュー 12月11日 
 
Q)2007年シーズンを振り返っていかがでしたか?
大嶋)
1A-Zエンジンが初めてだったので、開幕前のテストではデータ集めに集中した内容が多かったですね。これまで使ってきたエンジンとはセットアップも違うのでそのあたりを重点的に煮詰める作業という感じでした。まあ開幕戦では2戦ともポールポジションだったので、だいぶバランスが取れていたことが証明できました。

Q)その開幕戦ではスタートに失敗してしまいましたね?
大嶋)
このまま帰ったら殺されると思いましたよ(笑)。その後は必死に走って挽回することしか考えられなかったですね。あの時スタートでオリバー(ジャービス選手)に先行されたんですが、抜くチャンスが来たのでスリップに入ってインから並んだんですけど、そこで初めて黄旗が見えたんですよ。だけど見えたときには自分の方が前だったので、そのまま1コーナーに進入して、勝つことができました。

Q)その次はホンダ陣営のホームコースである鈴鹿サーキットでした。やはりアウェイという感覚はありましたか?
大嶋)
特にないですね。僕らはフォーミュラトヨタで何回もレースしていますし、実際優勝も出来たので。僕にとってはどのコースもホームですよ(笑)。

Q)もてぎでは、スタートでジャービス選手に抜かれてしまいました。この頃はスタートが苦手だったのでは?
大嶋)
もてぎの時には、まだまだメンタルな部分で自分に問題があったと思います。逆に次の岡山あたりから、自分のメンタル面を意識して改善に努めましたね。

Q)しかし岡山では予選でクラッシュしてしまい、2つのレースを最後尾でスタートすることになってしまいましたね?
大嶋)
予選の前の公式練習では結構タイムが良かったんですが、もともと相性が良くないサーキットだったので、少し欲張ったかもしれませんね。長いコーナーって苦手だったのかもしれません。予選が終わった後は自分自身がイヤになって、レース辞めようかと思ったりもしました(笑)。本当に今思っても、今年最大のミスでした。  日曜日のレースはスリックでスタートすることになって、コースが濡れている序盤はレインタイヤの人達に「あ、先に行って」って感じでしたけど、このまま走っていればポイントは獲れるだろうと思っていました。結果的に路面が乾いていって、最終的には2位。本当にラッキーなレースでした(笑)。


Q)夏の鈴鹿ではチームメイトのジャービス選手と接触というシーンもありましたね?
大嶋)
あの時はスタート直後の1コーナーへの進入で、僕のスタートが良くてオリバーのインに並んだんですが、オリバーが前方のロベルト(ストレイト選手)をインから抜こうとして、僕の存在を確認していなかったみたいで当たってしまいました。そのときは「ちゃんと見てろよ〜」って思いましたね(笑)。

Q)終盤戦に入ったオートポリスでは、3連勝を狙っていましたか?
大嶋)
そうですね。ただ、木〜金曜日に予定されていた走行が台風でキャンセルになってしまって。その影響もあってか、予選の1回目に関しては完全に僕がミスをしてしまいました。マシン的には問題なかったので、そのあたりが悔やまれますね。逆にロベルトは事前にテストもしていたみたいだし、走行がキャンセルになって喜んでいたみたいですが。 そう考えると、全くの初コースでほとんど練習できなかったオリバーが安定して速かったのは「さすがだな」って思いました。今思えば、だからこそマカオやA1GPであれだけの走りが出来るドライバーなんだなって、気付かされますね。逆に全日本F3では苦しんでいたみたいでしたけど。

Q)そして2連勝した富士ラウンド。これは最初から狙っていましたか?
大嶋)
はい。本当は開幕ラウンドでも何もなければ2連勝できたわけですから、ここだけは落とせなかったですね。富士に戻ってくるころにはスタートもノーミスで出来るようになっていたし、自信はありました。

Q)タイトル獲得も見えてきた仙台ハイランドではどうでしたか?
大嶋)
仙台のレースを迎えるころには、最終戦のツインリンクもてぎというサーキットに苦手意識というか、結果が残せていないサーキットという感覚があったので、出来れば仙台で決める、もしくは楽な状況で最終戦に臨みたいと思っていました。

Q)しかし練習走行でクラッシュを喫しましたね?
大嶋)
あれでマシンのバランスがおかしくなったと思います。レースもスタート直後にもらい事故に遭ってしまったし、あのあたりで少しでもポイントが獲れていれば、最終戦でももっと楽だったんですけれどね。週末の最後の方では良くなってきたのですが、やはりバランスがおかしいと思っていたことで、セットアップが遅れてしまった感はあります。結局、決勝ではセットを元に戻すところまでやりましたからね。

Q)そのような場合、自分とマシンと、どちらに問題があるという判断をするのですか?
大嶋)
僕のエンジニアの山田健二さんは両方を疑いますね。僕とか石浦さんには「もう1度考えてみろ」と指示されるんですけど、同時にマシンにも問題がないか徹底的に調べてくれますね。

Q)流れが悪かった仙台を終え、タイトル争いに関して焦りはあったのでは?
大嶋)
自分ではそんなに感じていなかったんですが、やっぱり焦っていたんですかね。自分じゃ分からないですからね。自分が思っている自分と、周りから見ている自分の違いが分かるといいんですけど(笑)。

Q)そして最終戦。苦手だったツインリンクもてぎでチャンピオンを獲得しましたね?
大嶋)
最初のレースで2位になって、最終戦の決勝ではポールポジションだったので、気分的には楽でした。そして最後のスタートも今年1番のスタートを決めることができたので、展開的には僕に流れが向いていましたね。自分も全然、気負いもなく焦っていませんでしたし。ちょうどもてぎに向かう途中の渋滞で、ちょっとしたハプニングがあったので肝がすわったのかも?(笑)。

Q)どんなハプニングですか?
大嶋)
ちょっとしたトラブルとイタズラです(笑)。

Q)最終戦のレース展開は無線で状況を聞いていましたか?
大嶋)
はい、ロベルトが石浦さんと接触して順位を落としたって。しっかりと(笑)。

Q)正直、石浦選手に感謝したのでは(笑)?
大嶋)
もちろんワザとそんなことをするドライバーじゃないですから(笑)。石浦さんとは1年間を通してGTも含め、お互いが認め合えるパートナーだったので、自分も成長が出来たかなと思います。ただ石浦さんが僕のことを違った意味で凄く意識しているんですよ(笑)。服やネクタイまで、わざわざ僕に合わせてくるんです(笑)。

Q)仲の良さが良い効果を生んでいるのでは?
大嶋)
たぶん僕の方が大人だから上手くいくんじゃないですか?(笑)。

Q)目標だったチャンピオンを獲得した素直な気持ちは?
大嶋)
去年のマカオでエンジニアの山田健二さんに「今年はランキング2位だから来年は絶対にチャンピオンだ」と言われていたので、嬉しかったし、ホッとしました。

Q)そして全日本王者として臨んだマカオ。どうでしたか?
大嶋)
もう今年の最初からある程度マカオを想定して日本でレースしていましたからね。セットアップも、このコーナーはマカオのこのコーナーに似ているとか考えながら進めていました。仙台のレース後にマカオ用のタイヤでテストもして、考えていたセットアップがイメージ通りだったので、マカオに車を持ち込んだ時点で、かなりマシンはいい状態でしたね。

Q)週末を通じて1度も車を壊さなかったですね?
大嶋)
実は金曜日の朝のフリー走行では、ガードレールに接触していたんです。ちょっと突っ込みすぎてラインを外してしまいました。「あ、曲がりきれない」って思ったら……。ホイールとタイヤに少し傷が入ったくらいだったので、大事には至らなかったんですけどね。少しヒヤリとしました(笑)。

Q)決勝レースで最終的には3位でしたね?
大嶋)
まあ、最後に3位に下がってしまったのは、タイヤのこともあるんですけが、やはり自分的に足りない部分があったと思います。来年もチャレンジするチャンスがあるのでそのあたりを克服してリベンジしたいですね。来年は今年よりも悪い成績は出せないですよね……。残念ながら全日本F3代表の選手ではないですが(笑)。

Q)これで全日本F3選手権での2年間が終わったわけですが、大嶋選手が自分で思うような成長は遂げられたと思いますか?
大嶋)
そうですね。やはりトムスというチームはどのカテゴリーでも世界戦でも優勝するようなトップチームで、そのチームに2年間在籍できたということが非常に良い経験になったと思います。そういう意味ではライバルに対してマージンを持っていたと感じます。また2年間の最後の方では健二さん(山田エンジニア)ともより一層話が通じ合えるような感じになり、セットアップの進め方に関しても成長できたんじゃないかと思います。

Q)ランキング以上に得たものは大きかったですか?
大嶋)
はい。やはり1年間の集大成としてチャンピオンが獲れたことも嬉しいのですが、苦手意識の強かったもてぎで優勝して終われたのが一番嬉しかったかもしれませんね。本当の意味で成長できたような感じです。今まであんなに上手くいったレースウィークはなかったくらいで、それが出来たことで自信にもなりました。それに今年は非常に周囲のレベルが高く、同期の日本人ドライバーは全員2年目で、過去に優勝するなどしているドライバーたちでしたから、自分も頑張れる部分も大きかったし、その中で得たものは非常に大きかったと思っていますね。