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2008 山本尚貴選手・中山友貴選手 スペシャルインタビュー 9月12日
前回の井口卓人選手、国本京佑選手スペシャルインタビューに引き続き、第2回は、Honda Team Realから全日本F3選手権に参戦している中山友貴選手、山本尚貴選手に話を聞きました。
───ふたりがモータースポーツを始めたきっかけは何だったのですか?
中山:僕はレーシングカートに乗ったのがきっかけですね。8歳ときに福井県で初めて乗ったのですが、とにかく僕はクルマが好きで、父の仕事の際にもクルマの助手席に乗っていました。父自身レースはやっていませんが、とてもクルマが好きで、僕もクルマが好きだということも分かっていて、ある時レース雑誌に「カートの試乗できます」みたいな記事があったので連れて行ってもらいました。
───それは中山選手のお父さんが、息子をレーシングドライバーにしたいというお気持ちを持っておられたからですか?
中山:いや、それは全くないと思いますね。完全な遊びだったと思います。
───では、山本選手はどのようなきっかけで?
山本:祖母の家に遊びに行ったときに、近所にレンタルカートのコースができたという事を知って、それがちょうどオープンの日だったので、ちょっと興味があったので連れて行ってもらいました。鬼怒川のグランデイソーラというコースなんですが、行ってみたら乗せてもらえることになって。それがちょうど6歳のときです。それがきっかけでカートに乗るようになりました。
───やはり山本選手のお父さんもクルマ好きだったのですか?
山本:そうですね、父はレース好きでしたね。ですからもう4〜5歳のときには鈴鹿のF1に連れて行ってくれました。92〜93年ですかね。ちょうどアイルトン・セナが走っていて……。
───92〜93年で4歳ですか!?
山本:えっ、そうですよ!?
中山:お前スゴイね! 若いなぁ(笑)
山本:いや、そんなに変わんないじゃないですか(笑)。
───そのときの記憶ってありますか?
山本:ありますよ。92年のときはシケインで観ていて……。
中山:ああ、あのセナとマンセルがぶつかったヤツ?
山本:あれ? ぶつかりましたっけ?
中山:あ、プロストか! ホラ、シケインで2台でぶつかったでしょ。
山本:ああ、それ生まれた次の年です。
中山:生まれた次の年〜っ!? 良くそんなの知ってるね。
山本:それで、93年は雨が降ったじゃないですか。
───あ〜、降りましたねぇ。
中山:そうそう山本は超スゴイんですよ!「何年のどこそこのマシンのカラーリングは?」とか聞いても分かるんです!!!
山本:まぁ〜モータースポーツマニアですからね(笑)。小さな頃からF1の放送を録画したビデオをずぅ〜っと繰り返し見てて、ひたすら古館伊知郎さんの口調を真似していましたね。ずっと僕がそう真似てる姿を撮ったビデオが家にありますもん(笑)。
───その後ふたりはSRS-F、FCJを経て全日本F3へとステップアップしてきたわけですが、F3に上がるまでにすごく辛かったこと、最も苦労したことは何ですか?
中山:そうですね、F3に上がる前には、それほど辛いことはなかったように思います。どちらかというと、F3の1年目がすごく苦労しました。
山本:辛かったというか、大変だったことは中学3年の終わりから高校2年までカートで海外に行かせてもらっていたのですが、そのときは大変でした。たった一人でイタリアに行っていましたし、日本では学校があったので1カ月行って帰国して、というのを繰り返していましたから。
───それはホームシック的な部分で?
山本:まだ若かったのでそういう事もありましたし言葉も大変でした。英語は多少勉強して行ったのですが、英語が全く通じないところに行ったので……。でも誰もができる経験ではないですし、レースの面でも私生活の面でも得るものはたくさんありました。
───なるほど。では、先ほど中山選手はF3に上がった初年度が一番辛かったと言っていましたが、何が一番辛かったですか?
中山:僕がFCJに出たのは、FDからFCJに移行した最初のシーズンでした。最初ということもあり、開幕が7月。公式テストも充分にないという状況でした。今のFCJはもっとたくさん走っているなというイメージがありますが、僕の時には公式テストが少なくて……。しかしそんな中、Hondaさんにテストする時間を作って頂けたことは非常にありがたかったです。そしてその後ステップアップのチャンスを得るような結果が残せたことはうれしかったですね。しかしまだまだ車のセットアップや状況を的確に伝えられるほどの経験が足りなかった為、F3に上がった時には自分がフィードバックできないからクルマがなかなか進化していかない、進化していかないのにレースウィークでは気ばかり焦って無理をしてクラッシュ……、という悪循環にはまっていましたね。
───確かに、外から見ていても上手く行っていないのが分かりました。
中山:だから戸田さんにも、よく「引き出しが足りないんだから、少しずつ覚えて行けば良い」って言われたのですが、今思うと、自分で自分を追い込んでいたと思います。
───同じようなことを山本選手は感じたりしていますか?
山本:自分の時には、FCJは走る時間がたくさんありました。もちろんSRS-Fでも走っては来ていましたが、結局FCJとF3はまったくの別物と考えていますから、自分としては1年1年新しい気持ちで入っています。ですから気持ちの面ではあまり迷いというのはないのですが、やはりクルマのセットアップに関しては勉強していかなければならないですよね。その点に関しては、田中監督や金石代表からいろいろ教えて頂き、ひとつひとつ勉強させてもらっています。ただ自分は1年目だから、とかあまり考えたことはないです。1年目だからといって結果を出さなければ2年目のチャンスはもらえない、ということは自分でも分かっていますし言われてもいます。カートでヨーロッパに行かせてもらっていたときも、「今年良いところがなかったら、もうクビにするから」というようなことはいつも言われていましたから。
───シーズン序盤は苦戦しているような部分も見えましたが、中盤戦から調子を上げているように思います。
山本:そうですね、序盤は自分自身で落としてしまったレースばかりでしたが、レースへの参加を重ねるにつれ自分でも落ち着く事ができました。田中監督やスタッフの方々が一生懸命マシンを調整してくださり、クルマとしての全体のポテンシャルを上げて頂いたのも大きな要素ですね。
中山:走り始めの持ち込みのクルマの状態が良いので、僕の場合はドライビングの悪い癖を直そうとしている感じです。そこが最近少しずつうまく行くようになってきて、それがちゃんとできればクルマが良いからタイムが出るという形ですね。そのあたりは田中監督に教わってきたことが、理解できるようになってきたのかなと思います。
───ふたりから見て、田中監督はどういう人ですか?
中山:う〜ん、レースに対してものすごく情熱的な人ですね。
山本:すごく芯が強い人だなと思います。
中山:そうそう、ブレないですね。
山本:正直今まであんなに芯が強い人を見たことがないです。トップの人がブレてしまうとチーム全体やドライバーが迷ってしまうと思うのですが、田中監督は自分の信念とかこだわりをすごく持っている人ですから、そういうことが少ないのだと思います。勝ちにこだわる部分では絶対に妥協しないところは本当にすごいです。
───少し話題を変えましょう。レースのないときにはどんな生活を?
中山:僕は横浜で一人暮らしをしています。もちろん食事は自炊です。結構パスタが多いかな。朝はランニングして、午後はジムに行き、走り込みや筋持久力のトレーニングなど2〜3時間行います。そして年2回、福岡で1週間のトレーニング合宿をしています。
福岡合宿では良きライバルと一緒にトレーニングをするのでいい刺激になります。
山本:僕は宇都宮の実家に住んでいます。海外に行っていた時は自分で家事をやっていたので自炊も嫌いじゃないですよ。リアルのGTのお手伝いやARTAのイベントに行く時もあります。レースやお手伝いがない時はジムで有酸素運動や筋トレ、たまには気分転換でマウンテンバイクを走らせ山越えに行きます。空気が気持ち良くて体がリフレッシュされますね。
───食事とかには気を遣っていますか? 特にレース前とか。
山本:元々和食系が好きなのですが、レース前には必ず祖母の作った唐揚げを食べますね。
───唐揚げ、ですか?
山本:もう6歳のころからずっとなんですが、カートレースの時には必ずサーキットで祖母の唐揚げを食べていました。祖母は鬼怒川に住んでいるので実家と近いわけではないのですが、唐揚げを食べるといつも成績が良いのでゲン担ぎですね。サーキットに入る前には必ず食べて行きます。
中山:おばあちゃんの家に行って食べるの?
山本:いや、クール宅急便で送ってくれるんですよ。これがまた美味いんです!全日本カートをやっているとき7戦5勝したんですが、勝てなかった2戦は唐揚げを食べていなかったんですよね。だから、ジンクスみたいなものになってしまって……。
中山:じゃあもう食べないわけにはいかないね。
───おばあちゃんはお幾つになられたのですか?
山本:79歳ですけど、すごく元気ですよ。毎戦レースには観に来てくれています。今年もオートポリスにまで来てくれて、「79年生きてきて、初めて飛行機に乗った」って言っていました(笑)。
───ということは、岡山にも?
山本:ええ。だから僕がF3で勝ったレースを見せることができてうれしかったです。ものすごく喜んでくれました。
───中山選手はそういったゲン担ぎのようなものはないのですか?
中山:僕は全くないですね。レース前には必ずパンツを右足から履く、というのもありませんし(笑)。
───もうシリーズも終盤なのですが、目標は?
中山:そうですね、残り少ないので毎回優勝を目指してひたすら頑張るだけです。
山本:何としてでももう1回勝ちたいですね。とにかく毎戦ベストを尽くして戦うだけです。
───ちなみに来年以降の夢は?
中山:来年はできれば海外に行きたいですね。カテゴリーは問わず、チャンスがあればチャレンジしたいです。
山本:僕も早く海外には出たいですね。カートでヨーロッパに行ったとき、そのままヨーロッパで4輪にステップアップしたかったという思いがあったのですが、ここ最近は改めて日本で結果を残したり、国内でやらなければならないことってたくさんあるなと思ってきました。海外に行ったら教えてもらえないようなこともたくさん勉強できるし、慌てて海外に行く必要もないのかなと考えるようになったのです。
───それはイタリアに行っていたから分かったことですか?
山本:いや、行ったら勉強になることはたくさんあるし、向こうでしか吸収できないことってたくさんあるのですが、その逆に日本でしか勉強できないこともたくさんある。だから、その両方を吸収することが出来たらすごく強いドライバーになれるのではないかと。
中山:僕もそう思いますね。
山本:モータースポーツの頂点はやはりF1ですから、誰もがF1を目標にすると思うんですが、簡単じゃないことはみんな分かっていると思います。
───今のふたりからすると、F1はすごく遠いですか?
中山:まだまだ遠いですね。
山本:昔に比べたら、近づいているとは思います。
中山:まぁ、昔に比べたら確実に近づいているとは思いますが、まだまだでしょう。
山本:やはり、観客席で見ていたサーキットを自分が走っているというだけで、一歩近づいたなと思います。誰でもサーキットを走れるわけではないし、誰でもF3に乗れるわけじゃない。せっかくそういうチャンスを頂いているんだから、なんとかそれを生かしたいと思いますね。
───ではF1に行くために、今何が足らないと思いますか?
中山:それはたくさんあります。F1に行くためには、与えられた環境の中でいつもベストを尽くし、ドライビングだけではなく車の作り方などトータルで学習して、それをしっかりと身に着けて、結果を残して……。そういった当然のことからして、本当にやるべきことは多いと思います。
山本:そうですね、英語の勉強なんかもそうでしょうけれど、自分はそんなに時間的な余裕はないと考えています。毎戦毎戦頑張るのは当たり前として、そこで失敗しても「また次に頑張ればいいや」というような余裕はないし、自分を追い込まなければダメだと思っています。何が足りないって、足りないことだらけですよね。その足りないところを、補おうと努力しているのがF3に乗っている今だと思うんです。あとは自分の気持ち次第だと思います。
───では、最後にファンの方々にひと言。
中山:やっぱりレースを観にサーキットに来て欲しいですね。
山本:そうですね。モータースポーツはサーキットに来ないと分からない部分も大きいので、生で僕たちが走っているのを見て応援してもらえればうれしいです。「サーキットに来て良かった」と思わせるような走りを僕たちもしたいと思います。
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